ウミガメノート
iPhone化する若者達
「ちょww うそでしょw 何で合コンの日に、上下ジージャンで顔面にバンダナ巻いてくるの??写真に撮られて、ブログにアップされるよww??」
とか、
「え、いまだにアナログカメラ使ってんの?? しかもそれ、一眼レフじゃなくて、普通のカメラ!? デジカメですら絶滅保護指定機器に認定されてんのにwww」
とかとか
もし、こんな会話が耳に入ってきたら、別にいぃぃじゃん!! 世間がハイスペックガジェットを強要しようとも、自分の好きなアイテムを使いたいんです!って、叫びたい気持ちになると思います。
どうでもいい事ですが、最近のiPhone の強烈な普及率や、「iPhone 持っていない人は、人間じゃないよね~」、的な風潮を恐ろしく感じてます。先日、幸運にも、その「iPhoneを持たないと生きられない」人達にお会いしました。
平日の穏やかな陽気の中の、原宿スターバックスカフェでの出来事でした。
「何飲む?」「カッペフラピティーーノ」と叫びながら、私の隣に、25歳くらいの今風の若者達が、どかんと鎮座しました。数分後、テーブルの上に置いてあった私のiPod touchをiPhoneと勘違いしたらしく、タッチを横目に、iPhoneの話を始めました。
「俺さーー、今、原宿を歩きながら、自分の二つ折りケータイを使えなくなっちゃった。街中でケータイをパカって開く行動がね、、恥ずかしくて死にたくなるんだよね~」
と言いました。
同席していたiPhoneを持っていない彼の友人Bとのやりとりは、以下のとおり。
「あ、それ、わかるわかる~。俺、街中で、ケータイ開かないもん!キリッ! 」
「今の時代、パカパカ開く、フツーのケータイって、超ダサいっしょ。タッチパネルで、光沢ツヤツヤ、てかアイフォーンじゃないと、マジ赤面しない?」
「うん。フツーのケータイを、恐縮しないで普通に使ってるヒトとは、一緒に歩けないw」
と、iPhoneのカッコよさと、普通の携帯電話の醜さについて、語り合ってました。
終いには、
「おれ、もうこのパカパカケータイを真っ二つに折って、ディスプレイの部分だけを表に見せて、使っていこうかなーー。そしたら、アイフォーンぽくない?」
「うほっ。いいねいいねー、それ、かっけーじゃん。 やっちゃう? うひゃひゃひゃひゃ。」
と、素っ頓狂な企画を実施しようとしました。
私は、原宿の有名カフェで起りつつある、比類なきその愚行を止めねばと思いました。パカパカ携帯を開発した方々の苦労や、携帯を組み立てる中国人労働者の艱難辛苦を説くべきか、と思いました。むしろ、携帯は折ったら故障する、という、最も基本的な事実のみを伝えるべきかとも思いました。
しかし、私のような田舎者に、彼らのファッション文化論を論破する事は、到底不可能だ。と諦らめ、見て見ぬ振りしました。
幸い、彼らの脳機能は、かろうじて働いていたらしく、最終的に「フツーのケータイをボキっと両断して、iPhoneっぽく偽装する」という珍行動は、延期になったようでした。
私はひと安心し、読書に戻りました。
数分後、青年は、私のiPod touchを フォーンじゃなくて、タッチだと見抜き、突然言いました。彼らは、私が音楽を聴いているから、私の耳には会話が届かないと思っています。しかし、私はずっと、イヤホンを耳につけたまま、音楽の再生を止め、彼らの狂言を聞いていました。
「i Pod touchって、なんか、一番むなしいよね。さもiPhoneを持っているかのような、そ・ぶ・り・をしているみたいでさ~。 まじで、あれは無いわー。」
その瞬間、原宿のカフェで、ipod touchを持つ事は、罪となりました。
彼らにとって、iphone以外のものは、全て悪でした。
私はiPhone 4の供給体制と電波問題の改善の早期解決を祈り、カフェを出ました。
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国盗り物語り
- 2010-07-01 (木)
- 戯言
5年ぶりくらいに、「国盗り物語り」著:司馬遼太郎を読みました。
斉藤道三、明智光秀、織田信長について描かれた本書は、私が始めて司馬作品に触れた小説でした。
3者が、いかにして国を切り取り、支配していくかについてを語ったのが本作です。私が最も興味を持ったテーゼは、「出自の違いで到達する距離が異なる」という部分でした。つまり、スタートラインの時点で、それぞれが持っていた権力の違いによって、たとえ同じ器量を持っていても、成し遂げられる事が変わってくるということです。
最も器量・才能に優れた斉藤道三は、ただの素浪人から乱世に生まれたため、いかに権謀を駆使しても美濃(現在の岐阜)一国の主までにしか到達できず、大名の子として生まれた信長は、道三と同等、もしくはそれ以下器量を持っていても天下を統一するに至ったという事実です。
これは何かさびしいような、悲しいような、でも、しょうがないよなー。って気持ちにもなりますが、強く印象に残った部分でした。とはいえ、豊臣秀吉は不浪人から神にまで成り上がってもいますが。。。。このスタートラインの違いによる、到達地点の限界点といのは、現代でも当てはめる事ができるのでしょうか。
という問いは愚問ですかね。
ビジネスという観点で考えるなら、フェイスブックの創始者は、大学生で創業したわけですし、日本でも名だたる企業のトップは世襲もいますが、ITに限れば自ら這い上がってきた方ばかりです。
ただもし、彼らが大学に通う事が出来ず、パソコンを購入するお金を得るためにアルバイトをする”チャンス”もなかったとしたら、どうなっていたでしょうか。例えば世界各地の難民キャンプで生活する人々の中で、世の中を席巻するアイデアを思いつく人がいるとします。もちろん、彼らがそのアイデアを形にすることは難しいです。パソコンで情報発信することも、資料を携えて出資者を募るため、プレゼンテーションをする事は不可能です。
難民キャンプの例は極端ですが、日本でもかのような、明日の飯を食う金もなく、「生きる事」が人生の目的となる人にとっては、やはり、窮状は同じかもしれません。
そのような、”本当に何も持たざる人間”が、世間を風靡して社会を変える一代事業を起こすのは大変な奇跡に思えます。 先日知ったのですが、アフリカの難民キャンプからアメリカに渡り、音楽界のトップに上り詰めたナントカという歌手がいたみたいです。その話を聞いて、まさに国盗り物語りを思い出しました。それは正に現代の奇跡なのではと思いました。
司馬遼太郎作品では人の機微、知恵の働かせ方、世論を掌握する方法など、学ぶことが大変多いです。しかし私のような人間が、先人の功を学ぶには、彼らと器量が違いすぎますので、全く役には立ちません。知恵あるものが知恵ある書を読んで初めて、我が知識となり肉となると感じます。
私に価値ある教科書は、巷の週刊誌や少年漫画であることは間違いないのですが、しかし、この国盗り物語りは、途方もない奇跡や人間の成長を見せてくれる物語という点で、紛れもなく最上の小説だと感じました。
次は久々に、高杉晋作をテーマに書いた「世に棲む日々」を読んでみようと思います。
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彼らが頑張ってくれる間は、全力の友達でいよう。
- 2010-06-08 (火)
- 戯言
先日、久々に実家の車を運転しました。
カーオーディオは何とカセットテープ。CDプレーヤーもありません。もちろん、ライン入力 for iPodなどございません。
トランクの奥をゴソゴソとまさぐると、そこには十数年前のカセットテープがホコリを被っていました。彼らは持ち主にお別れの機会も与えてもらえず、まるで使い捨てカメラのように哀れに放置されておりました。もう2度と、私と再開することはないだろうと思ってたに違いません。
カセットを目の前に、その形、でかい、と驚きをうけました。昔はカセットの大きさに違和感を感じたことはありませんでした。しかし、改めてその黒い固体を眺めると、あまりにも巨大な存在感を感じました。畏怖みたいな感覚も少々ありました。片面30分の両面60分の記憶容量。i pod touchより大きい面積い。。。10分くらい、手で感触を確かめながら、まじまじとその黒い固体を眺め続けていました。
当時は巨大と思わなかったものに、巨大さを覚えることや、
数年前は快適ガジェットだと思ってたものが、今や時代遅れなアイテムになってしまう事実。
「当時のホニャニャラが、今やスニャニャラ現象」ですね。
この現象を、時代の変化や技術革新の一言でまとめることは簡単です。
カセットに限らず、白黒テレビだって、シブガキ少年隊だって、
ちょんまげだって、今みるとスニャニャラです。
ただ、この「ホニャニャラからスニャニャラに変化」するスピードは加速してる気がします。ファストファッションのみならず、昨年のi phone 3gsから今年のiPhon4の進化速度や、3年前に1万円出して買った外付けHDDが、今や50%の価格で300%容量増。しかもこの先はクラウドです。音楽のストレージもオンライン、写真もオンライン。つまり、外付けHDDも我がカセットテープと同じ運命を辿るんですよね。私自身が、HDDを使わない、オールクラウドの状況を望んでますし。
身の回りの物との別れや、物の寿命が、
想像しやすくなった社会になった気がします。
お別れを前提に付き合うって事ですよね。
そして無性に悲しい気分になってきました。
例えば友人が重病に侵されていて、自分はその病名を知ってるけど、友人は知らなくて、でも笑顔で会話してるみたいな。。。これは昼ドラっぽい例えで現実味がないけど、別の例なら、例えばある人が「モノスゴイビジネスモデル、企画を思いついた」と嬉しそうに話し出すが、実際似たようなビジネスを自分は既に聞いたことがあって、その事実を伝えたいけど、彼がマシンガンのように話すから、切り出せない。。。その状況で哀愁感だけが自分の脳内に漂ってきた。。。みたいな。。そんな切ない気持ちです。
エコのために物を大切にしようってキャッチコピーはよく聞くけど、
なんだか、物を大切にする って、別の意味で響いてきました。
非情な物質社会の中で、短命なアイテム達。
でも、一緒にいる間は、彼らは便利さを提供してくれ、私に尽くしてくれる。
この先、自分がより便利な代替物に乗り換えることも知っている。
だからこそ、少ない期間だけど、彼らが頑張ってくれる間は、全力の友達でいよう。
と思いました。
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浄瑠璃を観にいく、そして快適に眠る
- 2010-05-20 (木)
- 戯言
本日は早起き。昨夜、運良く拾った文楽のチケット。服部半蔵に思いを馳せながら半蔵門へ到着。
国立劇場を目の前にして考え込む。税金で建てたられたこの立派な建造物。文化政策の一環か。国立美術館や国立劇場といった文化施設の充実振りや無形文化の保護などに、日本はいつから国力を割いてきたんだろうか?と疑問がわく。
人形劇場なんて、GDPを高める為に必要と考えにくいし。まして能なんてマニアックすぎないかい?観光客が来るみたいだけど。。経済活動に一辺倒な国家戦略が推進されそうな中、それを説得した人間がきっといたはず。おかげで文化領域に予算が配分され、今ここで無知でミーハーな自分もこうして、文楽に触れる場をもらえた訳ですね。そう思って、感謝の念が浮かぶ。国立劇場の建設に尽力した高級官僚(or政治家?)に感謝。
肝心の浄瑠璃はというと、演目が始まるやいなや睡魔に襲われ、睡魔が過ぎ去った頃にちょうど終幕。ということで、ほぼウトウトしながらの2時間。バレエやオペラ、クラシックなどを「劇場」で鑑賞すると、決まって眠たくなる。というか眠りに行くようなものかもしれない。。。快適な空間で、賓のあふれるBGMが鳴り響いて、起きてるほうが逆に難しいか。。
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フェイクマーケティング -The Yes Man
「鳩山首相が辞職!母から貰ったお小遣い10億円をユニセフに全額寄付!(朝日新聞)」
街を歩いていてこんな号外が配られていたとします。
私だったらこんな号外を受けとった瞬間、口に含んでいたコーヒーを思い切り吹いて、とりあえずツイッターで辞職の件をつぶやくと思います。
昨年、「イラク戦争が終結した」と書かれたNYタイムスの号外が、ニューヨークの道端で配られました。日本のニュースでも取り上げられていたのでご存知の方も多いかと思います。
これをきっかけに、アメリカ人のイラク戦争に対する関心が再燃しました。むしろこの号外を機に、イラク戦争それ自体をはじめて知ったアメリカ人もいるかもしれません。世界地図で自国の地理さえきちんと把握していないアメリカ人と言われてますよね。嘘かほんとか。。。
このNYタイムスの号外は、The Yes Manというイギリス人の方が、NYタイムスの許可なく勝手に配ったものでした。書面、版面もまるきっり本物のNYタイムスと同じように作られていたらしいです。
YESMANは何を思ってこんな行動を起こしたのかは分かりませんが、NYタイムスの反応は好意的だったようです。この件に対するNYタイムスのコメントは「われわれNYタイムスも戦争終結を願っている。イラク戦争の終幕を記事にする日が来ることを待ちたい」といった感じだったかと記憶してます。
別人が、あたかも本物の他人に成りすまして情報発信をすることで、幅広くメッセージを認知させる方法ですね。もちろん、これには様々な批判もありますし、最近、日本でも首相のニセツイッターや芸能人の成りすましブログが問題になってます。
私自身、ニセモノが良い・悪いといった話でなく、新しい表現方法やマーケティング手法が出現したなぁと思い関心しました。って、マーケティングと呼ぶと大げさですが。。。(しかも[フェイクマーケティング]という名称もさきほど勝手に私が思いついて付けた名前です。適当に聞き流してください。)
もちろん、このような情報操作の手法は、昔からあったかと思います。
しかし、デジタル技術がインフラ化して、サイバーな社会が加速するにつれ、誰もが容易にオンライン上でアイデンティティを形成できますよね。情報流通構造もマス一辺倒でなくなった今、フェイクマーケティングはもっと大きな影響力をもって頻出してくる気がします。
日本でも、そんなセンセーショナルな新聞の号外を見る日も近いかもしれません。
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巨大なi padL情報
昨日はエイプリルフールということで、オンライン上の到る所でネタが盛り上がってましたが、個人的に一番おもしろかったのはこれです。週刊アスキーのi pad L独占入手ネタ。アイパッドルと読むみたいです。(笑)
スクープ!! Aplleの大画面タブレット『iPadL』独占入手!
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/017/17555/
Aplleって何ですか(笑)アプリーと読めばいいんでしょうか・・
かなり巨大なIpadL
スペックも突っ込みどころ満載でした
CPU Aplle B5(1.2GHz)
OS iPone OS 3.2.1da-
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映画The Cove(コーヴ)を観ました
- 2010-04-01 (木)
- 映画
先日、映画「ザ・コーヴ(cove)」の自主上映会に行ってきました@三鷹
映画公式サイトはこちら
http://www.thecovemovie.com/japanesefiles/the-cove-store-files-final/Cove-home-page-absolute-url.html
去年、東京映画祭で上映されていたのを見逃してからずっと気になってました。2010年6月公開予定ですが本当に公開されるのでしょうか・・。舞台となった和歌山県太地(たいじ)町から上映中止を求める声も上がってるみたです。
映画そのものはとても面白く感じました。
ドキュメンタリー形式ですが、作品中の「潜入プロジェクト」や「隠しカメラ設置計画」といったシーンは、商業映画のようにダイナミックに描かれていて、まるでハリウッド映画の「オーシャンズ11」を観ているような印象。何度か心臓をハラハラさせられて少しくやしい気持ちになりました(笑)豚骨ラーメンを注文したのに味噌ラーメンが出てきて、でも凄く美味しかったみたいな。
映画のメッセージは反イルカ漁。世界中にイルカを供給するイルカ大国の日本が被写体でした。この作品は各地の国際映画祭で賞を受賞するなど高い評価を得ています。一方で、悪の枢軸的なメタファーの連発で日本を執拗に批判したりする面も見られます。(ドキュメンタリーなので批判的スタンスは何も問題ないかと思いますが)
また各所でイルカ漁文化・食文化の違いをおざなりにした姿勢への批判もみられます。とはいえこの映画はまさに「文化そのもの」にスポットを当てて製作されているので、文化相対主義的な視点を出すと映画の話事態ができなくなる気もしますが。。海外でのこの映画に対する認識の温度差はわかりませんが、日本では沸騰しそうです。
個人的にはイルカを見たことも食べたこともないので、イルカ漁に対して実感があまり沸きません。
鑑賞後の所感は、「あ~イルカってやっぱり頭いいんだ。イルカの声って心地よい中低音を発しているな~」って感じです。あとなぜかマグロの一本釣りをしたくなりました。ついでに日本では「イルカ漁」と表記しますが、海外では「猟」(huntのほうです)が使用されるみたいです。実際はわかりませんが。。。勉強になりました。
もし可能ならば、今度は日本からの視点、というかイルカ漁をする人からの視点でこの手の映画を観てみたいです。シーパラダイス・水族館を裏側から支え、食物連鎖で環境保護にも一役買う(イルカが小魚を食べ過ぎて生態系を崩している、らしい)、イルカ猟師の「知られざる壮絶な生き様」みたいな。NHKのプロジェクトXでもはまりそうです。
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