Home > 戯言 > 国盗り物語

国盗り物語

  • 2010-07-01 (木) 17:46
  • 戯言

5年ぶりくらいに、「国盗り物語」著:司馬遼太郎を読みました。
斉藤道三、明智光秀、織田信長について描かれた本書は、私が始めて司馬作品に触れた小説でした。

3者が、いかにして国を切り取り、支配していくかについてを語ったのが本作です。私が最も興味を持ったテーゼは、「出自の違いで到達する距離が異なる」という部分でした。つまり、スタートラインの時点で、それぞれが持っていた権力の違いによって、たとえ同じ器量を持っていても、成し遂げられる事が変わってくるということです。

最も器量・才能に優れた斉藤道三は、ただの素浪人から乱世に生まれたため、いかに権謀を駆使しても美濃(現在の岐阜)一国の主までにしか到達できず、大名の子として生まれた信長は、道三と同等、もしくはそれ以下器量を持っていても天下を統一するに至ったという事実です。

これは何かさびしいような、悲しいような、でも、しょうがないよなー。って気持ちにもなりますが、強く印象に残った部分でした。とはいえ、豊臣秀吉は不浪人から神にまで成り上がってもいますが。。。。このスタートラインの違いによる、到達地点の限界点といのは、現代でも当てはめる事ができるのでしょうか。

という問いは愚問ですかね。

ビジネスという観点で考えるなら、フェイスブックの創始者は、大学生で創業したわけですし、日本でも名だたる企業のトップは世襲もいますが、ITに限れば自ら這い上がってきた方ばかりです。

ただもし、彼らが大学に通う事が出来ず、パソコンを購入するお金を得るためにアルバイトをする”チャンス”もなかったとしたら、どうなっていたでしょうか。例えば世界各地の難民キャンプで生活する人々の中で、世の中を席巻するアイデアを思いつく人がいるとします。もちろん、彼らがそのアイデアを形にすることは難しいです。パソコンで情報発信することも、資料を携えて出資者を募るため、プレゼンテーションをする事は不可能です。

難民キャンプの例は極端ですが、日本でもかのような、明日の飯を食う金もなく、「生きる事」が人生の目的となる人にとっては、やはり、窮状は同じかもしれません。

そのような、”本当に何も持たざる人間”が、世間を風靡して社会を変える一代事業を起こすのは大変な奇跡に思えます。 先日知ったのですが、アフリカの難民キャンプからアメリカに渡り、音楽界のトップに上り詰めたナントカという歌手がいたみたいです。その話を聞いて、まさに国盗り物語りを思い出しました。それは正に現代の奇跡なのではと思いました。

司馬遼太郎作品では人の機微が仔細に描かれていて、学ぶことが大変多いです。しかし私のようなアンポンタンには内容が鋭すぎて全く役には立ちません。知恵あるものが知恵ある書を読んで初めて、肉となるものですよね。

私に価値ある教科書は、俗な週刊誌や少年漫画であることは間違いないのですが、しかし、この国盗り物語りは、途方もない奇跡や人間の成長を見せてくれる物語という点で、紛れもなく最上の小説だと感じました。

次は久々に、高杉晋作をテーマに書いた「世に棲む日々」を読んでみようと思います。

Comments:0

Comment Form
Remember personal info

Trackbacks:0

Trackback URL for this entry
http://umigame.biz/note/2010/07/01/%e5%9b%bd%e7%9b%97%e3%82%8a%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%82%8a/trackback/
Listed below are links to weblogs that reference
国盗り物語 from ウミガメノート

Home > 戯言 > 国盗り物語

twitter
Search
Feeds
Meta

Return to page top