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戯言 Archive
しきい値超えの情報量
- 2011-06-27 (月)
- 戯言
全てがたんぱくになっている。
浅く広い軽薄な毎日が続いていたのかもしれない。
よく言われることだけど、今と昔は受け取る情報の量は何千倍も違うらしい。
そんなケッタイな、大げさだろ、とか思ってたけど、あながち間違いじゃない。
後で読もうと思っていたWebの記事が無数にある。
便利なウェブサービスのソーシャルブックマーク機能によって、
気になった情報をクリップのようにメモができる時代。
気がつくと、結局読まないまま数百も蓄積されていた。本も同様だ。
購入した雑誌はいつも読みかけで放置されている。
小説も評論も後で読む本が目の前に山積みだ。
読み切れない程のツイートがタイムラインを埋め尽くす。
興味をそそられる情報が溢れ返っているが、さばき切れていない。
情報の洪水に飲み込まれているってことだ。
じゃあ、どうすればいいんだろう?
厳選しろってこと?
でもきっと、質と量の問題でも無い気がするんだよなぁ。
現に音楽に関しては好きな音をひたすら聴き続けて、幸せを享受できているわけだし。
最近、自身の生活もスピードと効率化が常態している実感があるわけで、
それって、大事な人間的な生生しさを消失しているようでならない。
とりあえず睡眠時間は削ってもいい。
1つ1つのことに、時間を掛けて、真剣に取り組んでいくことが必要。
な気がしました。
まずは1ヶ月。今月は、じっくり、生きていく。ってことをスローガンに掲げました
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iPhone化する若者達
「ちょww うそでしょw 何で合コンの日に、上下ジージャンで顔面にバンダナ巻いてくるの??写真に撮られて、ブログにアップされるよww??」
とか、
「え、いまだにアナログカメラ使ってんの?? しかもそれ、一眼レフじゃなくて、普通のカメラ!? デジカメですら絶滅保護指定機器に認定されてんのにwww」
とかとか
もし、こんな会話が耳に入ってきたら、別にいぃぃじゃん!! 世間がハイスペックガジェットを強要しようとも、自分の好きなアイテムを使いたいんです!って、叫びたい気持ちになると思います。
どうでもいい事ですが、最近のiPhone の強烈な普及率や、「iPhone 持っていない人は、人間じゃないよね~」、的な風潮を恐ろしく感じてます。先日、幸運にも、その「iPhoneを持たないと生きられない」人達にお会いしました。
平日の穏やかな陽気の中の、原宿スターバックスカフェでの出来事でした。
「何飲む?」「カッペフラピティーーノ」と叫びながら、私の隣に、25歳くらいの今風の若者達が、どかんと鎮座しました。数分後、テーブルの上に置いてあった私のiPod touchをiPhoneと勘違いしたらしく、タッチを横目に、iPhoneの話を始めました。
「俺さーー、今、原宿を歩きながら、自分の二つ折りケータイを使えなくなっちゃった。街中でケータイをパカって開く行動がね、、恥ずかしくて死にたくなるんだよね~」
と言いました。
同席していたiPhoneを持っていない彼の友人Bとのやりとりは、以下のとおり。
「あ、それ、わかるわかる~。俺、街中で、ケータイ開かないもん!キリッ! 」
「今の時代、パカパカ開く、フツーのケータイって、超ダサいっしょ。タッチパネルで、光沢ツヤツヤ、てかアイフォーンじゃないと、マジ赤面しない?」
「うん。フツーのケータイを、恐縮しないで普通に使ってるヒトとは、一緒に歩けないw」
と、iPhoneのカッコよさと、普通の携帯電話の醜さについて、語り合ってました。
終いには、
「おれ、もうこのパカパカケータイを真っ二つに折って、ディスプレイの部分だけを表に見せて、使っていこうかなーー。そしたら、アイフォーンぽくない?」
「うほっ。いいねいいねー、それ、かっけーじゃん。 やっちゃう? うひゃひゃひゃひゃ。」
と、素っ頓狂な企画を実施しようとしました。
私は、原宿の有名カフェで起りつつある、比類なきその愚行を止めねばと思いました。パカパカ携帯を開発した方々の苦労や、携帯を組み立てる中国人労働者の艱難辛苦を説くべきか、と思いました。むしろ、携帯は折ったら故障する、という、最も基本的な事実のみを伝えるべきかとも思いました。
しかし、私のような田舎者に、彼らのファッション文化論を論破する事は、到底不可能だ。と諦らめ、見て見ぬ振りしました。
幸い、彼らの脳機能は、かろうじて働いていたらしく、最終的に「フツーのケータイをボキっと両断して、iPhoneっぽく偽装する」という珍行動は、延期になったようでした。
私はひと安心し、読書に戻りました。
数分後、青年は、私のiPod touchを フォーンじゃなくて、タッチだと見抜き、突然言いました。彼らは、私が音楽を聴いているから、私の耳には会話が届かないと思っています。しかし、私はずっと、イヤホンを耳につけたまま、音楽の再生を止め、彼らの狂言を聞いていました。
「i Pod touchって、なんか、一番むなしいよね。さもiPhoneを持っているかのような、そ・ぶ・り・をしているみたいでさ~。 まじで、あれは無いわー。」
その瞬間、原宿のカフェで、ipod touchを持つ事は、罪となりました。
彼らにとって、iphone以外のものは、全て悪でした。
私はiPhone 4の供給体制と電波問題の改善の早期解決を祈り、カフェを出ました。
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国盗り物語
- 2010-07-01 (木)
- 戯言
5年ぶりくらいに、「国盗り物語」著:司馬遼太郎を読みました。
斉藤道三、明智光秀、織田信長について描かれた本書は、私が始めて司馬作品に触れた小説でした。
3者が、いかにして国を切り取り、支配していくかについてを語ったのが本作です。私が最も興味を持ったテーゼは、「出自の違いで到達する距離が異なる」という部分でした。つまり、スタートラインの時点で、それぞれが持っていた権力の違いによって、たとえ同じ器量を持っていても、成し遂げられる事が変わってくるということです。
最も器量・才能に優れた斉藤道三は、ただの素浪人から乱世に生まれたため、いかに権謀を駆使しても美濃(現在の岐阜)一国の主までにしか到達できず、大名の子として生まれた信長は、道三と同等、もしくはそれ以下器量を持っていても天下を統一するに至ったという事実です。
これは何かさびしいような、悲しいような、でも、しょうがないよなー。って気持ちにもなりますが、強く印象に残った部分でした。とはいえ、豊臣秀吉は不浪人から神にまで成り上がってもいますが。。。。このスタートラインの違いによる、到達地点の限界点といのは、現代でも当てはめる事ができるのでしょうか。
という問いは愚問ですかね。
ビジネスという観点で考えるなら、フェイスブックの創始者は、大学生で創業したわけですし、日本でも名だたる企業のトップは世襲もいますが、ITに限れば自ら這い上がってきた方ばかりです。
ただもし、彼らが大学に通う事が出来ず、パソコンを購入するお金を得るためにアルバイトをする”チャンス”もなかったとしたら、どうなっていたでしょうか。例えば世界各地の難民キャンプで生活する人々の中で、世の中を席巻するアイデアを思いつく人がいるとします。もちろん、彼らがそのアイデアを形にすることは難しいです。パソコンで情報発信することも、資料を携えて出資者を募るため、プレゼンテーションをする事は不可能です。
難民キャンプの例は極端ですが、日本でもかのような、明日の飯を食う金もなく、「生きる事」が人生の目的となる人にとっては、やはり、窮状は同じかもしれません。
そのような、”本当に何も持たざる人間”が、世間を風靡して社会を変える一代事業を起こすのは大変な奇跡に思えます。 先日知ったのですが、アフリカの難民キャンプからアメリカに渡り、音楽界のトップに上り詰めたナントカという歌手がいたみたいです。その話を聞いて、まさに国盗り物語りを思い出しました。それは正に現代の奇跡なのではと思いました。
司馬遼太郎作品では人の機微が仔細に描かれていて、学ぶことが大変多いです。しかし私のようなアンポンタンには内容が鋭すぎて全く役には立ちません。知恵あるものが知恵ある書を読んで初めて、肉となるものですよね。
私に価値ある教科書は、俗な週刊誌や少年漫画であることは間違いないのですが、しかし、この国盗り物語りは、途方もない奇跡や人間の成長を見せてくれる物語という点で、紛れもなく最上の小説だと感じました。
次は久々に、高杉晋作をテーマに書いた「世に棲む日々」を読んでみようと思います。
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彼らが頑張ってくれる間は、全力の友達でいよう。
- 2010-06-08 (火)
- 戯言
先日、久々に実家の車を運転しました。
カーオーディオは何とカセットテープ。CDプレーヤーもありません。もちろん、ライン入力 for iPodなどございません。
トランクの奥をゴソゴソとまさぐると、そこには十数年前のカセットテープがホコリを被っていました。彼らは持ち主にお別れの機会も与えてもらえず、まるで使い捨てカメラのように哀れに放置されておりました。もう2度と、私と再開することはないだろうと思ってたに違いません。
カセットを目の前に、その形、でかい、と驚きをうけました。昔はカセットの大きさに違和感を感じたことはありませんでした。片面30分の両面60分の記憶容量。i pod touchより大きい面積い。。。10分くらい、手で感触を確かめながら、まじまじとその黒い固体を眺め続けていました。
当時は巨大と思わなかったものに、巨大さを覚えることや、
数年前は快適ガジェットだと思ってたものが、今や時代遅れなアイテムになってしまう事実。
「当時のホニャニャラが、今やスニャニャラ現象」ですね。
この現象を、時代の変化や技術革新の一言でまとめることは簡単です。
カセットに限らず、白黒テレビだって、シブガキ少年隊だって、
ちょんまげだって、今みるとスニャニャラです。
ただ、この「ホニャニャラからスニャニャラに変化」するスピードは加速してる気がします。ファストファッションのみならず、昨年のi phone 3gsから今年のiPhon4の進化速度や、3年前に1万円出して買った外付けHDDが、今や50%の価格で300%容量増。しかもこの先はクラウドです。音楽のストレージもオンライン、写真もオンライン。つまり、外付けHDDも我がカセットテープと同じ運命を辿るんですよね。私自身が、HDDを使わない、オールクラウドの状況を望んでますし。
身の回りの物との別れや、物の寿命が、
想像しやすくなった社会になった気がします。
お別れを前提に付き合うって事ですよね。
哀愁溢れる関係です。
例えば友人が重病に侵されていて、自分はその病名を知ってるけど、友人は知らなくて、でも笑顔で会話してるみたいな。。。これは昼ドラっぽい例えで現実味がないけど、別の例なら、例えばある人が「モノスゴイビジネスモデル、企画を思いついた」と嬉しそうに話し出すが、実際似たようなビジネスを自分は既に聞いたことがあって、その事実を伝えたいけど、彼がマシンガンのように話すから、切り出せない。。。そんな切ない気持ちです。
エコのために物を大切にしようってキャッチコピーはよく聞くけど、
なんだか、物を大切にする って、別の意味で響いてきました。
非情な物質社会の中で、短命なアイテム達。
でも、一緒にいる間は、彼らは便利さを提供してくれ、私に尽くしてくれる。
この先、自分がより便利な代替物に乗り換えることも知っている。
だからこそ、少ない期間だけど、彼らが頑張ってくれる間は、全力の友達でいよう。
と思いました。
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浄瑠璃を観にいく、そして快適に眠る
- 2010-05-20 (木)
- 戯言
本日は早起き。昨夜、運良く拾った文楽のチケット。服部半蔵に思いを馳せながら半蔵門へ到着。
国立劇場を目の前にして考え込む。税金で建てたられたこの立派な建造物。文化政策の一環か。国立美術館や国立劇場といった文化施設の充実振りや無形文化の保護などに、日本はいつから国力を割いてきたんだろうか?と疑問がわく。
人形劇場なんて、GDPを高める為に必要と考えにくいし。まして能なんてマニアックすぎないかい?観光客が来るみたいだけど。。経済活動に一辺倒な国家戦略が推進されそうな中、それを説得した人間がきっといたはず。おかげで文化領域に予算が配分され、今ここで無知でミーハーな自分もこうして、文楽に触れる場をもらえた訳ですね。そう思って、感謝の念が浮かぶ。国立劇場の建設に尽力した高級官僚(or政治家?)に感謝。
肝心の浄瑠璃はというと、演目が始まるやいなや睡魔に襲われ、睡魔が過ぎ去った頃にちょうど終幕。ということで、ほぼウトウトしながらの2時間。バレエやオペラ、クラシックなどを「劇場」で鑑賞すると、決まって眠たくなる。というか眠りに行くようなものかもしれない。。。快適な空間で、賓のあふれるBGMが鳴り響いて、起きてるほうが逆に難しいか。。
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巨大なi padL情報
昨日はエイプリルフールということで、オンライン上の到る所でネタが盛り上がってましたが、個人的に一番おもしろかったのはこれです。週刊アスキーのi pad L独占入手ネタ。アイパッドルと読むみたいです。(笑)
スクープ!! Aplleの大画面タブレット『iPadL』独占入手!
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/017/17555/
Aplleって何ですか(笑)アプリーと読めばいいんでしょうか・・
かなり巨大なIpadL
スペックも突っ込みどころ満載でした
CPU Aplle B5(1.2GHz)
OS iPone OS 3.2.1da-
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